優しすぎるあなたへ。

 

優しいだけでは幸せになれない。

優しい=気が弱いでは心元ないのです。

それは、本当の優しさとは少し違います。逆に作用するケースもあります。

 

自分がみんなへ優しく接するようにみんなも自分に対して優しく接してほしい。

そんな期待を抱くなら辛い思いをするだけになります。

 

優しさの根っこにあるのは、強さです。

強さの根源にあるのは「ありのままの私でいい」という自分への信頼です。

 

ですが、「べき」「ねば」という考えがはびこる世の中で

「ありのままの私ってそもそも何?」という状態に多くの人が陥っています。

 

基本的には

「自分の心地よさ」「自分のしたいこと」を優先して生きていいということです。

(もちろん他者の心地よさや希望を著しく侵害しない範囲においてです。)

 

自分の幸せは自分で掴んでいい。

自分の人生の責任も権利も自分にあるのです。

 

一瞬一瞬に選択の余地があります。

他者を侵害しない限り、私たちは皆、あるがまま、心の赴くままに生きてもいいのです。

むしろその方が強くもやさしくもなれるのです。

 

自然に生きることができ道も大きく開けていくのです。

 

「自分の機嫌は自分で取るんだよ。」斉藤一人さんの言葉です。

「世界は自分で創る」ある人気ブロガーの言葉です。

 

「明るさは覚悟だ」人気恋愛マスターの言葉です。

ちなみにその恋愛マスター氏、「世の中には、誰とでも幸せになれる人と、誰といても幸せになれない人の二通りしかいない。」

というタイトルの本を出版されています。

 

 

自分の気持ちは自分で創る。(=心地良い状況を自分で整える)

自分の人生は自分で創る。(=心地良い人生となるよう自分で整えていく)

そうすることで初めて自分らしい世界は開けると。

 

皆さんそうおっしゃっているんですね。

 

「自分次第でよいのだ」とその前提があるから自分の足で立っていられるのです。

 

実践してみればこれがいかに当たり前で自然なことなのかに気づきます。

 

 

自分の気持ちを尊重し大事にする。

だけど感情に振り回されることとは少し違います。

 

心地よさを大事にしましょう。

ただがむしゃらに突き進むのではなく心地よさを保つために「聡明」であることも必要です。

 

聡明というのは、幸せへ繋がる知恵なのだと思っています。

知恵を己の欲のためだけに行使する⇒強欲になり幸せではない。

知恵ばかりがつき行動が伴わない⇒知恵に振り回される。やはり幸せではない。

となれば、本末転倒なんじゃないかな?と森ねぇも50年山あり谷ありの人生を生きてきて改めて思います。

 

自分の気持ちを尊重したり、二人が幸せになるためにに、時々、俯瞰で客観的な目線を持つ。

そういう知恵はとても大事です。

 

 

 

 

【優しさと思いやりは大事なこと】

優しさは人として欠かせない資質であり、人間関係においても大きな魅力です。これからも大事にしてくださいね。

一つ絶対に忘れないでほしいこと。「あなたがどうしたいかで決める」

 

それがおろそかになれば全ては本末転倒になります。

 

そうでなければ、優しくすべきだからするとか、優しさの押し売り、独りよがりの優しさ、見せ掛けの優しさなどどこかイビツな優しさになっていきます。イビツな優しさは人の心に届かず、「周囲が理解してくれない」「お相手が理解してくれない」と堂々巡りに陥ります。

 

優しさと思いやりはまず、ご自分に一番に向けてくださいね。

自分が十分に満たされてこそ、それが力強さや愛情に繋がってきます。

 

何よりまず、ご自分を認め、癒し、優しさで満たしてください。

自分を愛し自分に優しくできるから初めてお相手にも優しく愛情深くありたいという衝動が生まれるのですから。

 

誰かが「応援してくれるからがんばろう」。

そんな自分以外の誰かの応援。時にはそれも一つの大きな原動力になります。

ですが、それではいつも誰かが応援してくれないとがんばれないのでしょうか?

 

自分でよくやってるね、がんばったよと褒めること。癒すこと。楽しみを見出すこと。

そんな心の充電をする中で、自分の中から自ずと「~したい」という衝動、純粋に生まれてくるパワーには叶いません。

 

 

【優しさにプラスアルファしましょう】

 

人生を自分で切り開くために。

 

優しさにプラスアルファ必要となってくる要素。

 

優しさ、強さ、少しの賢さ、この3つが揃ってるほうがいい。

 

この3つの要素は全く違う要素のように見えて実は三位一体といっても良いほど密接な関係にあります。

 

愛と表現しても良いし、エネルギーと表現しても良いでしょう。

 

パートナーと支え合う上でも、今後、生まれてくる子どものためにも、ご自身が幸せになるためにも、どれが欠けても十分ではありません。

 

 

【名言に学ぶ】

アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーの名言に「タフでなければ生きて行けない。 優しくなれなければ生きている資格がない」というものがあります。レイモンドのハードボイルド作品の主人公、フィリップ・マーロウという私立探偵のセリフですが、このセリフは多くの読者に感銘を与え、後世に語り継がれています。この言葉が、多くの人の共感を得ているのはある種の真実を言い当てるとともに、そんな風にありたいと心を揺さぶるものを感じるからではないでしょうか?

 

このセリフを恋愛や結婚に例えると、

「自分に優しくなれるから強くなれる。そんな二人が出会うから最強の人生になる。」

と言えるのではないでしょうか?

 

 

【わがままな方が好かれる!?】

優しいだけの人より、どこか「強さ」を持っている人がモテる人です。

 

自分を押し殺し、優しく周囲に気遣いばかりしている人より、

時に自由気ままにある意味わがままに生きている人の方が世の中では尊重されるものです。

 

ここで、わがままというのは、人に迷惑をかけたり、困らせたり、嫌な思いをさせるという意味ではありません。

後述しますが、そのような人はもちろん、嫌われます。

 

好かれるわがままというのは、

あるがままの自分を認め、自分がしたいことを優先し、自分が嫌なことはできるだけしないということです。

 

つまり全てにおいて、自主的、主体的なのです。

 

 

分かりやすく言えば

「~べき。~ねば。」に捉われず、「~たい」と気持ちに正直に生きられる人です。

 

 

自分の気持ちに正直に生きている人にはウソがないのです。

 

周囲から見ても清々しさや安心感や自然な愛情が感じられます。

 

何故なら、みんなどこかで「~たい」こそ、より良く生きることに繋がる本能的に感じているのです。

 

中にはこれが我慢ならないという人もいます。「~べき。~ねば。」で生きている人です。

自分は「「~べき。~ねば。」で生きているのに許せないという思いにかられます。

 

自分のことを尊重し「~たい」で生きる人は、相手の「~たい」も尊重します。

何故か、一定の節度や思いやりからくる安心感を持ち合わせているのです。だから好かれます。

「何故か」、といいましたがもちろん理由があるのです。

 

 

 

もし、自分は優しすぎて損ばかりしている。優しすぎて傷ついてしまう。

 

そんなとき、皆さんも、何故、「わがままな人」が魅力的で、好かれるのか?その理屈を知っていると徐々に損ばかりと感じたり、傷つくということがなくなってきます。

 

実は、人に迷惑をかけたり、傷つけない限り、私たちは自由気ままさを持っていていいのです。

むしろ、自由気ままさは、各々持っていた方がいいのです。 

 

 

①「満たされている」から人にも無理なく、自然に優しくなれます。安心感があります。本当の愛情を感じるのです。

 

②「~したい」という気持ちで動いているとエネルギーは減るどころか充填され続けますから、生命力にも溢れています。

  「強さ」は生きていく上で欠かせないエネルギーだと誰もが感じるから、魅力的に映るのです。

(*ただ、強いだけの人に惹かれることもありますが、それはそれで危険です。

 優しさも持ち合わせているからこそ、周囲と支えあい(支え愛)が出来るのです。)

 

③ありのままの自分で人生を楽しみ謳歌することが出来ます。活き活きと自分らしく過ごしている人は周囲からも輝いて見えます。

 

 

 

 

 

【ご亭主を尻にしく、強い女が好かれる!?】

 

少し、極端な例ですが、気の強い鬼嫁にゾッコンのご主人というのは世の中に一定数存在します。

 

 

そのほうが、依存して楽に生きられるからという人もいます。

ムチ打たれて走らされることに快感を覚えるという人もいます。 

 

 

*以上は、あくまで極端な例です。皆さんには、鬼嫁を推奨するものではありません。

依存されながら、叱咤激励を続けるのは相当なパワーやエネルギーが必要です。また相手をどんどん頼りなく思い尊重できなくなる可能性があります。バランスが取れている内は良いのですが、いったん、バランスが崩れると負のエネルギーでご主人をやりこめようとするなど弊害が出てきます。

 

皆さんにお伝えしたいのは、少しの「強さ」は安心感に繋がるということです。

 

「強い女性」「芯のある女性」を「守護神」のように感じる男性は多いでしょう。

 

「芯の強さ」は生きて行く上で欠かせないものだと誰もが感じるのです。

 

 男性は、女性に対して、そして、女性も男性に対して、

一緒に、子どもを育てたり家庭を築く上で、愛情、芯の強さ、賢さ(=俯瞰で物事を捉えられる。要領の良さなど。)を求めています。

 

愛情と芯の強さ賢さというのは、女性も男性も、異性に対し、本能的に求めるものです。

*賢さというのは勉強ができるとか知識があるということではなく自分にとって大切なことや心地よいことが分かるという意味です。

 

 

【わがままで好かれる人と嫌われる人の違い】 

「人に優先してもらいたい」「人に満たしてもらいたい」と相手に満たしてもらおうとする人は嫌われます。

自分で自分を認めたり満たすことができないため、その穴埋めが必要になります。

心の空虚さを埋めるため、相手や周囲に認めさせようと躍起になってしまう傾向があります。

 

もしくは、与えられすぎて、自分で自分を満たす方法を学んで来なかった人もいるでしょう。

与えられ、わがまま放題でいることが当たり前になってしまった人もいるでしょう。

 

 こういう人たちは、自らを満たしたりお互いに認め合うことが習慣になっていません。

 

自分の立場でしか物事が見えず、自分なりの「正しさ」の論理を振りかざしてしまいます。

 

客観的な視点や、俯瞰の目線を持たないため、被害者意識を持ちやすく、モンスターペアレントやクレーマーとなりやすいのもこのタイプです。

 

いつも「傷つけられた」「ないがしろにされた」と感情的になったり、一方的に相手を否定したりします。

 

そして、周囲構わず、迷惑や不快感を与えるほど、わがままに振舞って嫌われたり、迷惑がられているのに気づかないのです。

 

 

【何故、嫌われるのか?】

 

わがままで嫌われる人

一言でいうと、余裕の感じられないわがままです。

 

自分に自信がない。自分は損したくない。自分はいつも不当に扱われる。

そういう思いがある人は、「余裕のないわがまま」になります。

 

何故、そうなるのか?

自分で自分を認めず、誰より自分を愛しているように見えて実は愛さず

自分で自分を十分に癒すことができていないからです。

自分で自分を満たすのではなく、誰かに満たしてもらおうとします。

 

劣等感が強く、自己肯定感が低いのです。

 

自分は、いつも不当な目に合わされる。⇒だから、もっと良い思いをしたい。

自分は、ろくな異性に出会えない。⇒だから、もっと素敵な異性と出会いたい。

自分は、運が悪い。⇒もっと、幸運に恵まれたい。

自分は、何故か嫌われる。⇒もっと、好かれたい。

自分は、優しくされない。⇒もっと、優しくされたい。

自分は、粗末に扱われる。⇒もっと、大事にされたい。

自分は、もっと愛されるべきなのに愛されない。⇒もっと、愛されたい。

自分は、自分は、自分は・・・。⇒もっとくれ、もっとくれ、もっとくれ・・・。

 

 

飢餓状態なのです。

自分で自分を癒したり満たすのが一番大事だということや、その方法を知らないために、

それを満たしてくれる誰かを求めたり、相手や恋愛や結婚で穴埋めをしようとします。

 

 

 

 

 

自分の思い込み=セルフイメージはその人を映す鏡になります。

自分がそのように思い込んでいるとしたら、そっくりそのまま

それを、相手にテレパシーで伝えているようなものなのです。

 

 

そういう人と接したお相手は、

もっと、もっとと「奪われる」感覚がします。

 

 

 一方的に求められる方は身も細る思いとなるでしょう。負担が大きすぎます。

本来の愛の形、お互いに満たし合うこととは程遠いのですから。

 

 

すぐに逃げて行ってしまいます。

 

 

飢餓状態のまま取り残されます。

原因は「心は自分で満たすもの」という事実を知らないからに他なりません。

 

ところが、それに気づいていません。

 

逃げて行ったお相手を執拗に思い続ける女性も多いです。

「復縁」というワードを検索しどうにか彼の心を取り戻そうとします。

「占い」や「復縁」ビジネスにお金をつぎ込む人もいます。

 

何年も思い続けた挙句、彼の心は戻らない、或は元々なかったのだとと知ることになります。

 

そしてまた、自分の心にぽっかり空いた穴を埋めるために、

どこに自分を心から満たしてくれる人がいるのだろうとさ迷うことになります。 

 

 

愛とは自分の心から湧き出てくるものです。

その愛が響き合うから癒し合ったり満たされたときを過ごすことが出来るのです。

 

満たされた人同士が一緒にいるから楽しい時間になるのです。

 

 

 

 

 

 【森ねぇの場合】

 といっても、なかなか、誰もが自由奔放にわがままに生きられるわけではないですよね。

森ねぇ自身、人にすごく気を遣ってしまうところがありました。

 

頼まれてもいないのに

「ここではこうした方が良いだろう」

「嫌だけど我慢して引き受けるべきだろう」

 

「~たい」で生きることに罪悪感を感じ、「~べき。~ねば。」に支配され生きてきました。

 

結果、いつも損な役回りばかり押し付けられ、その上、好かれもしないという状況に陥っていました。

 

出会いを続け、心理学など研究するにつれその謎は解き明かされていきました。

 

今は、自分らしくていい。ありのままでいい。

自分の「~たい」を優先できているからこそ、お相手の「~たい」も大事に思えるようになりました。

自分らしさを大事にするから相手らしさを認めることも出来、本音で接し、語り合えるようになりました。

 

 

自分のためであり、相手のためにもその方がいいのです。

 

そもそも、意識せずして、健全な関係を築いているご夫婦からすれば

「それって確かにそうだけど・・・。どれも当たり前のことですよね?」となるでしょう。

  

 

 

【優しすぎる女性を好きな男とは?】

 

 

一方、ひたすら優しい聖母マリアのような女性を求めている男性もいます。

リアルの女性経験に乏しく、幻想の中で交際をするなら、優しい女性が好都合なのです。

 

 

劣等感が強い男性です。

 

劣等感が強い人は、一見、真逆の2パターンに分かれます。

 

①交際経験が少なく自信がなく頼りない男性。

意見が割れたり、失敗を突っ込まれりすることに対応できない、する自信がないのです。

 

②虚勢を張りたい男性。

自分を大きく見せることで劣等感を解消しようとするタイプです。

相手を「自分のいいなり」にさせることで自己顕示欲や支配欲を満たそうとします。

 

パワハラ夫、モラハラ夫に悩まされる女性というのは往々にして「優しすぎる女性」「言いたいことが言えない女性」が多いのです。

 

 

 

【優しすぎる女性はモテる男に相手にされない。もしくはすぐ飽きられる】

モテる男は女性経験が豊富です。

モテる男性程、優しすぎる女性を求めません。

ただ優しいだけの女性には興味がありません

 

優しすぎる女性に対しては、男性はこのような感想を持ちます。

 

「自分に好かれようと優しくしている。」

「自分を優しさという罠でからめとろうとしてる。」

「生き抜く力が感じられない。頼りない。」

「自分の世界を持てよ。俺の世界に同化しようとしてくるなよ。」

「依存してくるなよ。ウザイなぁ。」

 

 

優しすぎる女性はいつも「俺」に合わせたり尽くしたり。

いつも「俺」のことを考えている。まるで見張られているようで気詰まり。

また好奇心が「俺」だけに向いているため会話をしていても「俺とのこと」に会話が終始。

 

例えば、

「私のこと好き?」

「仕事と私どっちが大事?」

「少しでも一緒にいたいね」

「何時に帰ってくるの?」

「今度はいつ会えるの?」

「いつ結婚してくれる?」

などと、愛情試しや押し付けばかりと感じ、興味をかきたてる会話がなく面白みがありません。

 

 

モテる男性の中にはほとんど女性に本気にならないという男性も多く存在しますので注意です。

 

「来るものこばまず」精神を持つことも多いため(種の保存としてオスのもつ本能)、簡単に女性と付き合いますがすぐに飽きるのです。

 

婚活アプリや誰でも参加できるような婚活パーティを利用している男性の仲にはこのタイプの男性も多くそう簡単に本気にはなりません。

落とす前だけ本気モードになれたりもします。一夜の恋でそれきりになったり、短い期間でフェードアウトします。

優しいだけの女性をこのような男性は平気で切ります。

 

 

「自分に好かれようと優しくしている。」

「その優しさは本当は自分に向けられたものではない。」

と感じているのです。

 

 

そんなケースでは、男性の方はほんの軽い気持ちでちょっかいをかけただけということも多い。

ところが、女性の側は「イケてる男性との恋愛」をしたつもりになってしまいます。

ときめく経験が忘れられず、お互いに満たし合う普通の恋愛には目が行かず、よりイケてる男性はいないかと捜し求めるようになります。

 

ひどい場合だと「騙されたり」「利用されたり」します。

 

「自分に好かれようと優しくしている。」

「その優しさは好かれるための道具だろう。」

 

という気持ちがあるので平気で残酷にもなれたりするのです。

 

 

【尽くす女は大事にされない】

 

尽くす女は大事にされない。という絶対法則も、説明がつきます。

 

男性からすると、

「自己満足」「好かれるための愛」「コントロールするための愛」「自己満足の愛」として伝わっているのです。

 

また、別の側面からも「尽くすこと」の弊害を見ることができます。

 

そもそも、いつもいつもある幸せには人は鈍感になりやすいのです。

空気ってありがたいものでしょう?なければ生きていけない。

でも、あるのが当たり前になってるから、感謝したことってあるかしらというぐらいではないでしょうか?

同じことです。

 

 

 

【自分の世界を持ち、楽しんでいる女性が人気】

また、モテる男ほど、

自分の世界を持ち、自由奔放に楽しんでいる女性」に魅力を感じます。

 

だからこそ、一緒にいる時間も「俺」に寄りかかっている感がなく、対等に楽しむことができます。

 

それだけではありません。

 

男性の本能的に女性を「追いかけたい」のです。

 

 

【男性の本能は追いかけたい】

放っておいたらどこかに行ってしまいそうな女性だから「離したくない」と思うのです。

 

尽くす女性は「私が好きでやってるからいいの❤」といいますが、自己満足に終わりがちです。

男には、女を追いかけたいという狩猟本能があります。

 

追いかけさせてあげるのが男性にとっては本当の愛情になるのです。

 

男にとってもう一つ大事なのは、「自分で決めた」ということです。

 

 

【男は自分で決めたい。選びたい】

男にとって、もう一つ大事なのは、

「自分で決めた」

と思えることです。

 

自分で決めるというのは誰にとっても大事なことですが、男性にとってはとりわけ大事なことです。

自分の意思を操作されたり、意思を無視して指示されることには、強い抵抗感を示します。

 

愛情過多になると、「一緒にいることを選ばせようとしてる」と、自分の意思を奪われるようで、恐怖に感じ始めます。

 

男性に嫌われないためにそんなことまで気にかける必要があるの?と思われる方もいるかもしれません。

 

実は、上記に上げた内容は、対等な関係、良好な関係を築く上でいつでも大事なことになってきます。

対男性だけではなく、全ての人間関係に通じることです。もちろん、子育てにも大きく関わってきます。

 

 

【全ては、より良い子育てに繋がる】

 

自分で目標を決めておいかけること。

 

自分で決めること。

それぞれが自分の世界を持ち楽しむこと。

 

上記のことは、子育てする上でも大事になってきます。

 

 

 

 

子どもに何かお手伝いをしてほしい時、命令形で伝えたり、選択の余地がないように追い詰めるような言い方をすると、子どもは強い抵抗を感じます。

 

何かにつけてやる気のない子どもがいますが、親が命令形で子どもに指図したり、愛情を武器に子どもを言うなりにしていることが原因です。

 

Iメッセージ(愛メッセージ)で私たちの心を伝えるやりかたが有効です。

「無理ならいいけど、できそうなら、ご飯たいといてくれると助かる。お母さん、帰ったらすぐ夕食作るからね。」などという具合です。

 

 

「無理ならいいんだよ」というのが本心であるというのが大事なポイントです。無理強いは禍根を残すためお互いのため何も良いことがないのです。

 

 

「嫌なら断ってもいい」という選択の余地があると思えば、以外にも快くお手伝いにも応じてくれるものです。

また、どうしても嫌なことは断ってもいい。自分に選択権があると思えば自己肯定感にも繋がり、侍従的に動ける子どもになります。

 

「自分で決めた」と思えることは男性にとっても、子どもにとっても、もちろん、私たちにとっても、すごく大事なことなのです。

 

 

 

【優しすぎる人に対して相手はこう感じている】

【他人への一方的な優しさ=他人への一方的な依存】

 

 

他人へ一方的に優しくしたり、尽くすこと。

実はそれって、他人に依存した生き方ですよ、というとびっくりするでしょうか?

 

 

 

 

尽くすことで愛情を得よう期待するなら、それは既に依存なのです。

 

恋愛や結婚ってそういうものじゃないの?

それ以外に何があるの?

 

と思う人も多いようです。

それでは、幸せは遠ざかってしまいます。

 

 

私たちの人生は「私たちがどうしたいかで決める」のです。

自分で決める権利があります。

 

 

そして、皆さん実は

無意識下では、そのことに気づいてもいるのです。

 

 

優しすぎる人は、往々にして自分を大事にするということが後回しになっています。

 

そんな時、相手を大事にすれば、同じように相手が返してくれるはずだと私たちが思いたいのです。

自ら勘違いを引き起こしているのです。

 

これは、相手をコントロールしようとしていることでもあり、相手に依存、期待することでもあります。

 

私たちには誰しも

 

自発的に動きたい

自分で決めたい

 

という本能があります。

 

人から指図されたり、注文をつけられるのは誰だってイヤなのです。

抵抗感しか生まないのです。

 

 だから、「優しすぎる」人というのは、どこに行っても、大事にされないというケースが多いのです。

 

 

 

 

 

 

【子育てにおける「優しさ」依存の弊害】

例えば、子どもは自分の好きなことをよく分かっています。

学びたいという欲求やエネルギーを持ちこの世に誕生してきます。

子どもを尊重し、親も自分自身を尊重していれば、子どもは伸び伸びと育つことができます。

 

【愛情や優しさで間接的に子どもをコントロールしようとする依存】

 

優しすぎる親は子どもの自発性を育てることが出来ません。

 

正しく言えば、優しいとか思いやりがあるというのは良いことなのです。

問題となるのは、優しさや愛情の種類を履き違えている場合です。

 

「こんなに応援してあげてるんだからできるよね?」

「ママのことが好きだからがんばれるよね?分かるよね?」

「これはあなたのためを思って言ってるのよ?」

と子どもをコントロールしようとしたり、操ろうとします。

 

子どもの思いや意見を尊重することは度外視で、

「道を外れないように誘導すること」

「親が望む道へ誘導すること」

「レールの上を走らせること」

が一番の優しさであり愛情だと思っていたりする場合です。

 

 

こういう偽りの優しさで育てられた子どもは、

自分の意思で自主的に生きられない、何も決められない子どもになっていきます。

 

時に

「何をしてるときが楽しい?」

「どっちのお菓子がすき?」

「どっちのおもちゃで遊びたい?」

と尋ねられても自分の気持ちがはっきり分からない。

 

 

感情が希薄な子ども

自主性を持たない子ども

優しさを感じられない子ども

 

を優しさや愛情を履き違えた親は生み出します。

 

 

優しさや愛情があるなら、優先順位が逆なのです。

 

まずは、

子どもの思いや意見を尊重すること。

自尊心や自主性を育ててやるのが親の愛情です。

 

親として伝えることがあるとしたら、

 

・基本の挨拶や一定の礼儀。

・自分や人を尊重する気持ち。

・生活習慣。

 

ぐらいで十分なのです。

 

後は愛情深く接し「自分らしく人生を楽しんでいいよ。それで大丈夫だよ」と安心感を与える。見守る。

子どもが助けを求めたときに援助してやる。

 

その上で、大きな危険や大きく道に外れることがないように見守ればいい。 

 

 

 【厳しさは愛情の裏返しという依存】

 

 暴力や暴言で言うなりにしようという依存の形もあります。

 

これらの親は自分は思いやりのある人間だと思い込んでいるのです。

 

厳しさこそ、愛情の裏返しだと。これはしつけなのだと。

 

 

これだけ言ってるんだからいいかげん分かるでしょう?

と相手をコントロールしようというやり方です。

 

暴力や暴言で子どもをねじ伏せようとします。

 

実は、見せ掛けの優しさや愛情で子どもを操る「優しさの履き違え」と本質は同じです。

 

 

親が子どもがやりたがらないことを強制しつづけたり、怒鳴りつけて勉強させようとする。

何か出来ていないと罰を与える。(ご褒美で釣るのも似たようなものです)

 

これも一種の依存です。

これだけ私が言ってるんだから、お前に耳があるなら聞こえているだろうと言う訳です。

 

言ってることの理屈が分からないなら「お前はバカだ」「どうしようもない奴だ」となります。

 

人の心は、「誰かの理屈」「世間の理屈」では、決して動きません。

「無理強い」することは、相手の心に、苦痛、恐怖、嫌悪感、憎悪、拒絶反応を植え付けることです。

誰かの理屈で無理やり動かそうとした時、人の心は壊れます。

 

 

「お前のためだ」「家族のためだ」といいつつ、強制というのは虐待であり、拒否反応を生み出し、子どもの心を破壊するだけなのです。

 

子どもの心を傷つけ壊し、子どもの生命力や生きる気力、希望を失わせます。犯罪と言っても良い悪質な行為なのです。

 

 

歯磨きでも、お風呂でも、学校に行くのでも、お部屋の掃除や片づけでも、勉強でも、強制されたことは、その後「苦痛」という感情と切り離せなくなります。

 

子どもが本来持っていた知識欲や学びたい、というエネルギーは消滅し、生きる意欲や希望を奪ってしまいます。

 

その後の人生もとても苦しいものになります。

生きているのがやっと、いつも鉛を背負っているように身体が重い、いつも苦しいという人々が生み出されます。

 

正反対に、親から受け継いだ負のエネルギーを更に他人に発散することでエネルギーを得るようなある種凶暴な人物となる可能性もあります。

 

常にストレスを感じている状況になり、免疫異常をきたしたり、自律神経が不安定になったり、血圧の異常や、体の痛みも発症しやすくなります。

 

あがり症、緊張症、恐怖症、アトピー性皮膚炎、喘息、うつ病や自殺願望、アルコール依存症、など各種の依存症、慢性疲労症候群なども発症しやすくなります。人間不信、人生不信、異性不信、などあらゆる不信感にも繋がります。

 

 

 

いつも子どもを怒鳴りつけているような家庭では

 

子どもが、

 

生命力を奪われ無気力に陥る

もしくは逆に

恨みのエネルギーを燃やすようになる(反発心を原動力にし始める)

 

自分を痛めつけるようになったり、誰かを痛めつけるようになるケースも多くあります。

 

必ず、ひずみと問題が生じてくるのです。

  

 

【相手にだけ優しいは、現実にも、心に矛盾を生じる】 

 

「優しすぎる」それは時として「自分には優しくない」「相手にだけ優しい」という図式を作り出しています。

 

その上、周囲からは「好かれたくてやってる」「優等生ぶっている」だけ、と見られがちです。

 

 

これが過ぎると、優しくすることやいい人であることに疲弊し、「もう誰にも優しくなんかできない」と間逆の方向に走り始めたり、全てを投げ出すに至ることもあります。

 

どの団体、どの職場にもこのような人がいます。

「とても優しくていつも周囲に気配りを欠かさない」「人の痛みを理解出来る人」

そういう人が突然、失踪したり、職場を無断欠勤するようになることがあります。

 

「がんばらなければ・・・」と頭で思っても、心が満たされなければ、身体が言うことを聞かなくなるのです。

 

我慢したり配慮をしたり誰かに優しく親切にしても尊重されない・・・。

職場でも、自分勝手な人が幅を利かして、真面目な自分はないがしろにされる。

 

お相手に誠心誠意尽くしたつもりなのに去られてしまった・・・。 

あなたもそんな経験があるのかもしれません。 

 

配慮をしたり優しく親切に。我慢ばかり・・・。 

実は、周囲があなたの立ち位置を決めているのではありません。

 

【私たち自身の思い込みが立ち位置を決めている!?」

 

「自分はこういう人間である」という思い込みこそ、周囲にもその思い込みを反映させています。

自分自身が自分に何かを課していると、周りもそのように課してくるのです。

 

例えば、

「人にはいつでも親切にするのが当たり前」と思っていると、

相手は「あの人に親切にされて当たり前」となります。

 

無意識下で、それぞれの行動は「自分がそうしたくてやる」という暗黙の了解があります。

 

 

「大事にされない」「後回しにされる」「配慮してもらえない」

と感じるとしたら、自分で自分をそのように扱っているのです。

 

そんなことない。自分は「大事にされたい」と思っているでしょう?

 

それにはまず、自分で自分を認めたり、癒したり、大事にすることです。 

自分を十分に認め、謙遜したりせず、我慢を強いたりしないことです。

 

 

レいつも尊重されないという思い込みがある(自分でそのように周囲に映し出している)

レ優しくしただけ見返りがあるべきだと思う(周囲に期待して待ってしまう)。

レ自分で自分を癒し満足させられていない(いつも不満や欠乏感を抱えている)

 

 

そういうことも相まって、自己主張しない人、優しすぎる人は往々にして尊重されないのです。

 

 

みんな自分で感じ、自分で考え、自分で決めるという自由を持っています。

私たちがその自由を行使することは権利でもありますし必要なことでもあるのです。

他の人が行使したくてもできない領域です。

 

それが、自分に許されていると思えるからこそ、お相手にもその権利があることを尊重し、お互い平等な立場で、発言ができます。

 

 

 

【みんなが自由気ままになれば、この世の中は成り立たない?】

 

そう思う方もおられるでしょう。

 

逆です。「お互いに自由でいい」認め合うことで、自由闊達に意見交換や感情表現、話合い(話し愛)が出来るのです。

どちらが「正しい」ということではないという理解に基づいています。

(極端な場合を除いては、ですが。例えば、犯罪、人を騙す、傷つける行為などはどんな場合でも正しいとは言えません。)

 

 

 

 

「お互いに自由でいい」認め合う。

これも一つの習慣にしていくことです。

泳いだことのない人が、最初から泳げないのと同じです。

 

 

 

出会いは良い習慣やたくさんの価値感を学ぶための場でもあります。

自分だけでは気づかなかった新たな視野が広がりもするのです。

お互いの意見や気持を尊重しながらベストな道を模索する工夫しようという発想も生まれるのです。

 

 

 

【自分で作り出す歪み】

 

先ほども少し触れましたが、自分を自分で認め癒すことが出来ない人には、必ず、歪みが出てくるのです。

 

その歪みを自分では背負わず、相手に背負わせようとする人もいます。

自分で自分を追い込みながら、自分に我慢させるという形ではなく、相手に強いることで解消しようとする人もいます。

 

子ども時代に親から我慢を強いられた記憶から、超絶・わがままになっている人などです。

「自分は大事にされてこなかった。もっと、みんな私を大事にして!!」と。

 

「自分は誰からも大事にされない。」という思い込みに基づいて行動するのでやはり大事にしてくれる人は現れません。

ますます、意固地になったりします。ヒステリーを起こしがちな人もそういう悪循環から逃れられません。

 

 

攻撃的になる人も、消極的になる(優しくなりすぎる)人も、どちらも根っこは同じです。

 

どちらも、劣等感と思い込みがそういう行動に駆り立ててしまうのです。

 

レ自分で自分に制約を課している。

レ自分はこうだ周囲はこうだという決め付けをもっている。

レ自分で自分を癒し認める慈しむことができていない。

レ自分で自分を十分に認め尊重できていない。

 

そんなことない!

身近にいる高圧的な上司は自信満々だ!

というケースもあるでしょう。

 

同じなのです。誰かをこき下ろしたり、自信満々に吹聴しないと自分を保っていないくらい自信がないのです。

でなきゃ、そんな必要ないのですから。

 

 

【日常の中で自分を大事にする】

普段の生活の中でいかに自分の気持ちを尊重できているかにより私たちの人生は決まっていきます。

 

例えば、高価なお洋服で着飾ったり、豪華なレストランで食事をしたり、宝石を手に入れたり、海外旅行、あちこち出かけたりと躍起になって自分を楽しませようとする人は多いです。ですが、何をやってこも心の中には満たされないものが残るという場合もあります。

(森ねぇにも経験がありますが。)

 

誤解しないでほしいのですが、それらが、悪いと言いたいのではありません。それらが、自分に無理を強いているのではなく、十分に満たされる感覚があればもちろん良いことなのです。

 

ですが、次のことに気づいていると、特別なことをしなくても、容易に癒されたり生命力を簡単に取り戻し、活き活きとした自分でいられます。

 

大事なのは、必ずしも、見た目に派手なこと、特別なこと、非日常を味わうことがエネルギーや癒しに繋がるのではない。ということです。

 

どこかで聞いたような理想論だと感じるかもしれませんね。

「清貧の思想」という本が人気を博し、持てはやされた時代もありました。

すぐに下火になり、今は、インスタ栄え、セレブ婚などが持てはやされています。

 

どちらも悪いことではありません。インスタ栄えも時には楽しいものです。セレブ婚も目の保養や、こんな世界もあるんだと希望を持つのも良いでしょう。

 

ただ、時代の潮流に乗ることや、世間の価値観。それは、幸せとはあまり関係がないことだと、このコロナ渦にあって、気づき始めた人もいるのではないでしょうか?

 

何より大事なのは、常に清貧に慎ましく慎ましくあることでも、派手に非日常を楽しむことでもない。

 

自分が何を好きなのか?そして、今それをしたいのか?今の気持ちはどうなのか?満たされているのか?そうでないのか?

 

ということです。

 

人それぞれまた、その時々、幸せに感じることは違います。

 

例えば、お腹が空いてる時なら、食べたい豪華な料理も、満腹であれば、見るだけでうんざりするでしょう?

喉が渇いて仕方がない時は、一杯の水がどれだけ美味しく感じるでしょう?

 

清貧をやっていて満たされる瞬間、インスタ栄えを狙って写真を撮ることに、楽しさや満足感を感じているなら、満たされる時間となるでしょう。

 

しかし、その時々、感じることを疎かにし、世間の尺度ばかり気にするようになると「好き」がいつしか形骸化し、「~したい」から「~ねば。」「~べきだ。」という、私たちの喜びとかけ離れたものになることがあります。

 

大事なのは、心から満たされる感覚。があるかどうか。

 

もしかすると、お金をかけてしょっちゅう豪華なレストランや海外旅行に行くこと以上に、日常生活の中に楽しみや癒しの時間を見出す方が豊かで満ち足りた時間だという場合もあるのです。

 

自宅のベランダで空を眺めながらゆったりコーヒーを飲んだり。ゆっくりお酒を飲みながら音楽を聞いて心安らいだり。

といった、やろうと思えばいつでもできることの方が、実は、自分を心から癒し満たす時間になることもあります。

 

食べたいお料理を手作りして、日常の中でささやかな達成感や満足感、喜びを感じることの方が私たちを癒してくれる場合もあります。

 

 

何がその人を満たしてくれるかは、人により、その時の状況により、違いも変化もあります。皆さん、ご自分の感覚を大事になさって下さいね。少しずつ、日常生活を「~たい」という感覚で満たして行きましょう。それが心を満たすことに繋がります。

 

例えば、独身女性によくある悩みが、「お料理、お掃除くらいがんばらなきゃ」と思っていてもパワーが湧いて来ない。付き合いもあるし、仕事で疲れ果てていたり、何らかの抵抗感があったりで、「~べき」「~ねば」の義務感が強く取り組むことが出来なかったりします。

 

自分が好きなこと、やりたいことで満たしたり、義務感や抵抗感が減ると、自然に自分の環境をより良く整えたり、何かをしたいという衝動は湧きあがってくるものです。

 

そうすると、いつの間にか、好きなことをやってるついでに色んなことを無理なくこなせたりします。

「できるときに、自分がしたいからする」ので、無理がなく、いつの間にか、それが習慣にもなるのです。

 

料理、掃除、洗濯などを楽しんでやっている人というのは、その他の場面でも大いに自分を満たしたり楽しませることを知っています。

いつも自炊するべき、いつも隅々まで綺麗にしなければならないという「べき思考」義務感とは遠いところにいます。

 

 

家事に限らず、仕事でも趣味でも子育てでも、全てのことは義務感で着手するより、衝動が湧き上がってくるまでしっかり自分を癒したり楽しませる事を優先している方が健全で無理がありません。

 

そんな風に、自分の感覚を大切に、日常生活を楽しむという基本の土台があれば特別なお楽しみがなくても自分を癒せるのでいつでも安心感に満たされます。そういう、土台があればこそ、非日常もまた、より一層、価値のあるものになるのではないでしょうか。 

 

旅行や外食を「逃避」として利用するのではなく、心ゆくまで満喫し楽しむこともできるでしょう。

 

自分の感覚に従い、日常で幸せや楽しみをたくさん、見つけられる人は、大きな楽しみ小さな楽しみもたくさん発見できるでしょう。 

 

 

 

【まとめ】

自分の気持ちを優先し慈しむということは何よりも大事なことです。(自分の気持に寄添う)。

何故って、自分の思いは自分が良く知っているのですから。

 

これが出来ないと「自分は相手のために気を利かせたり、配慮しているのに相手はしてくれない」という不満に繋がって行きます。

そうすると、次第に、「思いやり」を持つことが自分を苦しめることに繋がってくるのです。

 

人の幸せを望むには、まず、自分で自分の幸せを優先し実現すること。この土台がなければ成り立たないのです。

  

自分の心の空虚さは自分で満たさない限り、相手に求めるばかりになります。それでは、満たしきれず、いつも不満顔になり、要求を続けることになるのです。

 

自分の気持ちを優先し慈しむ(=自分に寄添う)ことが出来たら、自然に相手を尊重する気持ちも生まれてきます。

自分の気持ちを優先し慈しむように、お相手の気持ちも大事に慈しみたいと思う気持ちが持てるようになります。

これが、相手に寄添うことです。

 

つまり、まずは、自分に寄添うことが十分にできれば、相手に寄添うことができるようになります。

自分で自分を満たしつつ、お互いを満たし合うこともできるようになります。